じゃがいもの月




 単独任務をこなして帰ってくると、その足で綱手さまのところへ回るようにいわれた。その単独任務はsランクの存外に骨の折れるものだったから、早くせんせいのところに行きたいと思っていたのに、否応なく火影命令で徴発された。
  執務室へと足をすすめながら、おれはせんせいのことを考えた。先生の指の先の厚くて整った爪の形とか、まっすぐのびた頚骨のつらなりだとかをできるだけ正確に思った。やさしいかんじとかあったかいかんじとかそういう漠然としたものではなくて、もっと具体的でゆるぎないものの方が安心できたから、いっしょうけんめい、徐々に枝毛がふえてばさばさになってくるイルカせんせいのたかく結ったしっぽの先なんかを思った。
 綱手さまは西日を背にして執務室でひとりで座っていた。大事な形見の腕時計を壊してしまった少女が放心しているように見えた。綱手さまはおれが室内に入ると、「タスクが死んだよ」と蟋蟀のような声でいった。
 そうですか。しにましたか。
 おれがそう答えると、綱手さまはぶるんっと首を起こした。「あんたはっ!」こんどは百舌鳥のように喉を限りに彼女はおめいた。
「あんたはっ!あのこがどれだけあんたを慕ってたか知らないってのかい!!」
 あんたは何様のつもりだい!!体中の毛を逆立てるようにして綱手さまはわんわんとおめきつづける。インク壷が破裂し、樫製の上等な机が、気に当てられてめしっとゆがむ。
  橙色の空気をきらきらと反射しながら執務室のまどガラスがぱんぱんと軽快な音を立ててつぎつぎと割れた。なにもかもが耐えがたくめんどくさいように思われたので、チャクラも練らずに呆然とつったっていると、露出しているほうの肌が小さく裂けた。イルカせんせいの鼻の頭の滑らかな傷を思った。
 綱手さまはぜぇぜぇと肩で息をして、ちいさく、すまない、と言った。
 波動に耐え切れずササラのようになってしまった今回の任務の報告書を見ながらどうすべきか考えていると、綱手さまは、また今度でかまわないと言った。
「あの子の通夜は今日の晩だそうだ。気が向いたらいっておやり」
 退室しようとするおれの背中に綱手さまが声をかけてくださったので振り向いて一礼する。綱手さまは今度は家族中においていかれた老婆のように見えた。

 イルカせんせいのもとへそのまま駆けていきたかったけれど、血まみれのまま街中を駆けていくことは禁止されている。とりあえず暗部用の受付で血糊の目立つジャケットだけ代えてもらう。
 外に出るとちょうど日が落ちたところで、太陽の残りかすの夕焼けが、空を赤く染めている。商店街はまだたくさん人がいて、いろんな声がわんわんと響いていてすこしくらくらする。鼻の利く何人かがちょっと嫌そうにこちらを見た。こどもが大声でなにかをねだり、腹を立てた母親においていかれて泣いていた。アカデミーを出てすぐらしい下忍たちがわーわーと声をあげで一団になってかけてゆく。重そうな買い物袋を抱えた年配の女性の前をその息子らしい男が何を持つでなく大股ですっすっと歩き、老齢の夫婦とおぼしき男女がふたり、黙って手をつないでいた。そこここであつまってしゃべっている女たちの影が夕暮れに溶けかけている。タイムセールタイムセールという勇ましげな掛け声が両脇の店からいくつもあがるが、みなあいまいな茜色の空気の中でゆらゆらと揺れるばかりだ。
 もうすぐ夜が来るのに。いまだ空気に残る太陽の粒子はもうすぐにでも消えていき、真っ暗な夜が来てしまうのに。みんなまやかしに過ぎないのに。思うと不安になってきて、急いで先生のアパートまで駆けた。

 足の下できゅうきゅうと鳴るイルカせんせいのアパートの階段がすきだ。おれは上忍でしかも暗部あがりだから、足音なんかたてずにすばやくあがってしまうことも全然できるのだけれど、(むしろそのほうが自然なのだけれど)錆びて崩れ落ちそうな手すりにまでつかまって、わざとゆっくり階段を上がる。
「ただいま」
「ああカカシさん。お帰んなさい。軒にかかってる洗濯物、いれちゃってもらえます?」
 せんせいは味噌汁の最後の味付けに忙しいらしく振り向いてもくれない。すこしがっかりした気分になるが、イルカせんせいに見事に調教されたおれは、文句も言わずに洗濯物をたたむ。

 しばらくすると、せんせいは満足そうに炊き立てのご飯ときゅうりの酢の物と筑前煮とあさりの味噌汁をもって居間にあらわれた。畳みかけの洗濯物を端によせ、受け取ったお椀にジャーからご飯を盛りながら、おれは今日あったことをはなす。
「おれのね、むかしの部下が死んだらしいんですよ。今日、お通夜だって。ずいぶん昔からの部下で、あの頃の部下でいままで生き残ってたのはあいつだけだったんですけどね。おれより年上のくせに、カカシ隊長カカシ隊長ってよく寄ってきてね」
 イルカせんせいは黙って、玉じゃくしですくった味噌汁に葱をちらしておれに渡してくれる。
「そうそう。それと、任務でね、今日は13人ぐらい殺しました。昨日は7人でその前は40人ぐらい殺しました。一族をひとつ潰せって依頼だったから、子どもとか年寄りもいたけど、殺してしまいました」
 このこともちゃんと言わないといけないよな、と思っておれは急いで付け足した。イルカせんせいは黙ってわしわしと飯を食べた。わしわしわしわしと良く噛んで、一通り食べ終わると、今度はじっとおれを見た。
「今回は怪我をしたんですね」
 痛かったですか。ほっぺた。
 綱手さまにつけられた頬の傷はほんのかすり傷で、そのうえもうほとんどふさがっていた。なのにイルカせんせいにそう言われると、何故かどんどん痛いような気がしてきた。
 痛かったです。とってもとっても痛かったです。
 言ってしまうともう間違いないような気がした。痛くていたくてしかたなくなった。わあわあと泣きながらおれは「痛いよう。痛いよう」とおめいた。蟋蟀のように百舌鳥のようにおめいた。
 イルカせんせいは吃驚した顔をしていたが、ゆっくりと頭をなでながら、「よしよし、よしよし」と言ってくれた。イルカせんせいの体温はとてもたかくて、その手はとても暖かい。それすらも何だかとてつもなくかなしいことのような気がして、おれは一晩中おんおんと泣きつづけた。
 空にはじゃがいものような月が出ていた。



20090908